【東京都の心霊スポット】羽田空港の赤鳥居(旧穴守稲荷神社大鳥居)|米軍も撤去できなかった祟りの鳥居──1945年の強制退去から始まった、羽田の怪
東京都大田区羽田空港1丁目の海老取川沿いに建つ旧穴守稲荷神社の大鳥居。1945年9月のGHQ接収で穴守稲荷神社が移転させられた際、撤去しようとするたびに事故が相次ぎ米軍も断念。以来「祟りの鳥居」として語り継がれ、1999年に現在地へ移転後も神社のない場所に赤い鳥居が川べりに建ち…

基本データ
- 種別:心霊スポット
- 所在地:東京都
- 危険度:1/5
- 信憑性:B
東京都大田区羽田空港一丁目。海老取川沿い、天空橋駅のそば。
川べりに、神社もないのに赤い大鳥居がぽつんと建っている。
1929年(昭和4年)に奉納された旧穴守稲荷神社の大鳥居だ。
1945年9月、GHQが羽田を接収した。三つの町の住民が強制退去させられた。
大鳥居を撤去しようとすると、事故が起きた。米兵が落下した。飛行機の機器に不良が続いた。業者が倒産した。
結局GHQは大鳥居の撤去を断念した。
鳥居だけが残った。空港が建設された。
「この鳥居に祟りがある」という話が語り継がれている。
概要
羽田空港の赤鳥居(はねだくうこうのあかとりい)は、東京都大田区羽田空港1丁目の海老取川沿いに位置する「旧穴守稲荷神社大鳥居」だ。1929年(昭和4年)に京急が奉納したコンクリート製の大鳥居で、高さ約6メートル。現在は弁天橋のたもとに、川に向かってぽつんと建っている。
この鳥居の来歴は1945年9月に遡る。GHQ(連合国最高司令部)が東京飛行場(現・羽田空港)とその周辺三町(羽田鈴木町・羽田穴守町・羽田江戸見町)を接収し、住民を強制退去させた。穴守稲荷神社も移転を余儀なくされたが、大鳥居を撤去しようとする際に作業員の事故が相次ぎ、飛行機の機器不良が頻発したため、GHQは撤去を断念。以来この鳥居は「祟りの鳥居」として語り継がれてきた。
1972年には空港拡張で再び撤去が決定されたが、決定直後に航空機の墜落事故が起き計画が中断。1999年に現在地に移転し「祟りが治まった」とされている。オカルト研究家・山口敏太郎氏は「少なくとも1999年の移転にまつわる祟りの話は実はデタラメだ」と指摘しており、怪談の全てが事実ではない可能性も示唆されている。

基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 旧穴守稲荷神社大鳥居・羽田の大鳥居・羽田空港の赤鳥居 |
| 所在地 | 東京都大田区羽田空港1丁目(海老取川沿い・天空橋駅近く) |
| ジャンル | 神社遺構(旧穴守稲荷神社の大鳥居) |
| 危険度 | 1 |
| 信憑性 | B |
| タグ | #神社 #事故 |
場所・アクセス
京急空港線「天空橋駅」から南へ徒歩約5〜10分。海老取川沿いの弁天橋のたもとに位置する。羽田空港の敷地外にあり、昼間は観光客・空港利用者が立ち寄るスポットでもある。鳥居の前には来歴を解説する碑文が設置されており、観光案内板として機能している。
なぜ心霊スポットになったのか
この鳥居が「祟りの鳥居」として語り継がれる理由は、他の心霊スポットとは異なる。「幽霊が出た」ではなく「神社と住民が理不尽に追われた歴史」と「撤去するたびに事故が起きた」という具体的な記録が根拠だ。
1945年・GHQによる強制退去という歴史的事実 終戦直後の1945年9月、GHQが羽田を接収し、三つの町の住民が強制退去させられた。穴守稲荷神社は新天地に移転したが、大鳥居の撤去をめぐって以下の出来事が起きたとされている。
撤去作業中の事故の連続 「大鳥居を切断しようとした米兵が鳥居の上で落下した」「何度試みても必ず事故が起きた」「鳥居に手をかけた日に限り飛行機の機器に不良が起こった」「高額報酬で引き受けた日本の業者も事故が続き結局倒産した」という記録が複数のソースで確認されている。これにより「米軍は大鳥居の撤去を断念し、鳥居だけを残したまま空港を建設した」という歴史が生まれた。
1972年・墜落事故による撤去中止 1972年に再び空港拡張で撤去が決定されたが「その決定が下された直後、あの有名な日航機の墜落事故が発生」し、これに怯えた経営陣が急遽撤去計画を中止した。その後、毎月3日に会社幹部が穴守稲荷に参拝し、本社・整備場・旅客機・ヘリコプターにお札を貼り続けたとされる。
1999年・移転後「祟りが治まった」 1999年に鳥居は現在地に移転され「ようやく祟りが治まった」とされている。一方でオカルト研究家・山口敏太郎氏は「少なくとも1999年の移転にまつわる祟りの話は実はデタラメだ」と断言しており、全ての怪談が事実ではない可能性も示されている。
心霊現象の噂
鳥居を撤去しようとすると必ず事故が起きる「祟りの鳥居」 最も有名な怪異がこれだ。撤去しようとするたびに事故・機器不良・倒産が発生したという記録が語り継がれており、「この鳥居には触れてはならない」という禁忌として定着している。
周辺に処刑場・無縁仏が集まるという背景 羽田空港周辺の多摩川河口は、「五十間鼻無縁仏堂」という無縁仏の祠が存在する地域でもある。多摩川の水難犠牲者・関東大震災・東京大空襲の遺体が河口に流れ着いたという記録があり、鳥居だけでなく周辺一帯に霊的なエネルギーが集まっているという解釈がある。
弁天橋での少女の霊の目撃 鳥居のそばにある弁天橋では、1982年に少女が殺害された事件(犯人未逮捕)と結びついて「少女の霊が目撃される」「背中を引っ張られる感覚がある」という体験談が語り継がれている。
鳥居付近での不思議な体験 夜間に鳥居の前を通ると「誰かに見られている気がする」「急に寒気がする」「写真にオーブが写る」という体験談が残っている。

体験談
体験談①「鳥居を切断しようとした米兵が落下し、何度試みても必ず事故が起きた。飛行機の機器に不良が続いた。業者も倒産した。米軍は撤去を断念した」
怖話(kowabana.jp)・パイロット相談室・帝都を歩くなど複数のソースで語り継がれている記録。「また、これを切断しようと赤鳥居の上で作業していた米兵が、鳥居を切ろうとした瞬間に落下。何度ためしても、必ず事故が起きたとされている。また、赤鳥居を撤去しようとした日に限り、米軍の飛行機の機器に不良が起こるという異常事態が何度も発生。これにはさすがに米軍も恐れを無し、日本の土木業者に異例の高額報酬で依頼。金に釣られてこれを引き受けた業者も、結局作業事故が連続し、結局倒産してしまった」と記録されている。(怖話より)

体験談②「衝撃! 羽田の鳥居の祟り事件はインチキだった!──オカルト作家・山口敏太郎氏が断言」
リアルライブによる取材記事(2008年)。「オカルト作家・山口敏太郎氏は、少なくとも99年の鳥居の移転にまつわる祟りの話は、実はデタラメだと断言する」という記録が残っている。
1999年の移転作業については「業者が移転後に何もなかった」という証言もあり、「祟りの鳥居」という評判の一部は誇張・創作である可能性が指摘されている。ただし「1945年の撤去作業中の事故については一定の史実的根拠がある」とも語られており、全てが虚偽とは言えない。(リアルライブより)
体験談③「穴守稲荷神社が現在地に移転するまで、鳥居だけが飛行場の中に取り残されていた。鳥居の前には当時の経緯を知らせる碑文が設置されている」
帝都を歩くブログ管理人による現地調査記録。「近くに神社があるわけでもなく、川沿いという不自然なところにある大鳥居です」と現地の状況を記録している。
「この大鳥居は『旧穴守稲荷神社大鳥居』という名の鳥居です。現在羽田四丁目にある穴守稲荷神社は、昭和20年9月に東京飛行場と周辺三町が進駐軍に接収されるまでは、今の羽田空港敷地内にあたる羽田穴守町にありました。鳥居前には鳥居の経緯を知らせる碑文が設置されています」という歴史的記録が残っている。(帝都を歩くより)
※ 体験談は個人の証言であり、事実を保証するものではありません。
危険性と注意点
羽田空港の赤鳥居は現役の観光スポットとして整備されており、物理的危険は低い。
神聖な場所への敬意 旧穴守稲荷神社の大鳥居として奉納された神聖な構造物だ。不敬な行為・落書きは厳禁だ。
空港周辺の治安と交通 羽田空港の近くに位置しており、夜間も人通りがある。ただし川沿いの夜間は転落に注意が必要だ。
強制退去された地域への敬意 1945年に強制退去させられた住民の記憶が宿る場所だ。その歴史的意味を理解した上で訪れることが求められる。

まとめ
1929年、穴守稲荷神社の大鳥居が奉納された。
1945年9月、GHQが来た。住民が強制退去させられた。穴守稲荷神社が移転した。大鳥居を撤去しようとした。事故が起きた。何度試みても事故が起きた。米軍は諦めた。鳥居だけが残った。
空港が建設された。滑走路が伸びた。鳥居は取り残された。
1972年、また撤去しようとした。墜落事故が起きた。中止になった。
1999年、今度は成功した。現在地に移転した。「祟りが治まった」と言われた。
オカルト研究家は言った。「少なくとも一部はデタラメだ」と。
それでも今も赤い大鳥居は川べりに立っている。神社もないのに。空港の出入り口のすぐそばに。
「近くに神社があるわけでもなく、川沿いという不自然なところに立っている大鳥居」の前には、当時の経緯を記した碑文がある。
動画
FAQ
Q. 羽田空港の赤鳥居はどこにありますか?
東京都大田区羽田空港1丁目の海老取川沿いに位置します。京急空港線「天空橋駅」から南へ徒歩約5〜10分です。
Q. なぜ神社もない場所に鳥居だけがあるのですか?
1945年9月にGHQが羽田を接収した際、穴守稲荷神社は移転しましたが、大鳥居を撤去しようとするたびに事故が相次いだためGHQが撤去を断念し、鳥居だけが残されたことに由来します。その後1999年に現在地に移転されました。
Q. 「祟りの鳥居」という話は本当ですか?
1945年の撤去作業中に事故が相次いだという記録は複数のソースで確認されています。ただしオカルト研究家・山口敏太郎氏は「少なくとも1999年の移転にまつわる祟りの話は実はデタラメだ」と指摘しており、全てが事実ではない可能性があります。
Q. 1972年の墜落事故との関係は?
「1972年に空港拡張で撤去が決定された直後に航空機の墜落事故が発生し、これを恐れた経営陣が撤去計画を中止した」という記録が残っています。以来毎月3日に会社幹部が穴守稲荷に参拝したとされています。
Q. 現在は安全に見学できますか?
はい。現在は観光スポットとして整備されており、鳥居の前には来歴を解説する碑文も設置されています。昼間は空港利用者も立ち寄るスポットです。
出典
安全メモ
- 私有地への侵入はNG
- 危険行為(廃墟侵入・無理な探索)はNG
- 近隣住民への迷惑行為はNG
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