心霊スポット公開日: 2026-06-16更新日: 2026-06-17

【北海道の心霊スポット】北炭夕張新炭鉱|「お命頂戴いたします」── 93人が死亡したガス突出事故、社長が注水を決断した163日間の真実

北海道夕張市清水沢清陵町。1981年のガス突出事故で93人が死亡した北炭夕張新炭鉱跡地。社長の「お命頂戴いたします」発言と163日間の遺体収容作業が今も語り継がれる実際の大惨事現場。

北海道心霊スポット信憑性 B危険度 4
廃屋事故
【北海道の心霊スポット】北炭夕張新炭鉱|「お命頂戴いたします」── 93人が死亡したガス突出事故、社長が注水を決断した163日間の真実の外観
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基本データ

  • 種別:心霊スポット
  • 所在地:北海道
  • 危険度:4/5
  • 信憑性:B

北海道夕張市清水沢清陵町。住宅街の奥に、鉄格子で閉ざされた坑口が残っている。

「北炭夕張新炭鉱」。

1981年(昭和56年)10月16日、ガス突出事故が起きた。

地下1000メートルで火災が発生した。59名が安否不明になった。

会社は注水を決断した。社長は遺族に言った。「お命頂戴いたします」と。

遺族は怒った。「俺たちの肉親の命を奪うというのか」と。

最終的に93人が死亡した。

163日後、最後の遺体が収容された。

社長は自宅で手首を切った。未遂だった。

通洞口には今も慰霊碑がある。「空気が通るように」という遺族の願いで、コンクリートではなく鉄格子のまま塞がれている。


概要

北炭夕張新炭鉱(ほくたんゆうばりしんたんこう)は北海道夕張市清水沢清陵町に存在した炭鉱で、現在は通洞口(坑口)と慰霊碑のみが残されている。夕張市は1890年(明治23年)に北炭(北海道炭砿汽船)が炭鉱開発を始めたことで発展し、最盛期には大小24の炭鉱を擁し、人口11万7000人を抱える「炭都」として栄えた。しかし石炭産業の衰退とともに炭鉱の数は減少し、北炭夕張新炭鉱は北炭グループが企業の存亡をかけて最新鋭の設備を揃えて開鉱した炭鉱だった。

1981年(昭和56年)10月16日、この炭鉱でガス突出事故が発生した。地下深部での火災・ガス突出により多数の作業員が坑内に閉じ込められた。事故発生6日後の10月21日、会社は59名の安否不明者に生存の可能性がないと判断し、火災を鎮圧するための注水を家族に提案した。当時の社長・林千明は「お命を頂戴いたします」と発言し、家族からは「命をよこせというのか」という激しい怒りの声が上がった。最終的に全家族から同意書を取り付け、10月23日に注水が実施された。注水に先立ち救護隊員が坑内の注水地点に花束を供え、夕張市内では市役所・学校などで一斉にサイレンが鳴らされ、全市民が黙祷したという。

最終的な死者数は93人。坑道の歪みや資材の水没により遺体収容作業は難航し、最後の遺体が収容されたのは事故から163日後の1982年3月28日だった。事故収束後、社長の林は自宅で手首を切り自殺を図ったが未遂に終わり、代表取締役を辞任した。1982年5月にはHBC(北海道放送)がドキュメンタリー番組「地底の葬列」を放送し、第38回文化庁芸術祭賞のテレビドキュメンタリー部門で大賞を受賞している。

現在、通洞口には「北炭夕張新炭鉱」の社名が往時のまま保存されており、遺族の「空気が通るように」という要望からコンクリートで密閉されず、鉄格子で閉鎖されている。傍らの盛土には慰霊碑が建立されている。

scene1

基本情報

項目内容
名称北炭夕張新炭鉱(ほくたんゆうばりしんたんこう)跡地
所在地北海道夕張市清水沢清陵町(通洞口・慰霊碑)
ジャンル廃炭鉱(1981年ガス突出事故現場)
危険度4
信憑性B
タグ#廃屋 #事故

場所・アクセス

JR石勝線「清水沢駅」から車で数分。夕張市清水沢清陵町の住宅街の奥に通洞口(坑口)と慰霊碑がある。周辺には1971年(昭和46年)以降に建てられた炭住アパート群(清陵町)が残っているが、現在は1143戸のうち約半数が空き家となっている。坑道内部への立入はできない。鉄格子越しに通洞口を見学することができる。


なぜ心霊スポットになったのか

北炭夕張新炭鉱が心霊スポットとして語られる理由は、他の心霊スポットとは全く異なる重みを持つ。「噂」ではなく「93人が実際に死亡した産業事故」という確固たる歴史的事実が根底にある。

93人死亡という日本の鉱山事故史上最大級の犠牲

1981年のガス突出事故で93人が命を落とした。坑内に閉じ込められた作業員を救うための注水という決断が、結果的に生存の可能性をゼロにしたという経緯が、この事故の特異な重さを生んでいる。

「お命頂戴いたします」という社長発言の衝撃

事故対応にあたった社長・林千明の「お命を頂戴いたします」という発言は、遺族との対立を象徴する言葉として記憶されている。この発言の重みが、夕張新炭鉱を単なる産業事故以上の「忘れられない悲劇」として記憶させている。

163日間の遺体収容という長い苦しみ

最後の遺体が収容されたのは事故から163日後だった。坑道の歪み・資材の水没により収容作業が困難を極めたという事実が、亡くなった作業員たちの長期にわたる「行方不明」状態を象徴している。

社長の自殺未遂という後日談

事故収束後、社長の林千明が自宅で手首を切り自殺を図ったという事実が、この事故の関係者全員に及んだ深刻な心理的影響を物語っている。

慰霊碑と鉄格子という「今も残る痛みの跡」

通洞口が「空気が通るように」という遺族の要望でコンクリート密閉されず、鉄格子のまま保存されているという事実は、遺族の癒えない悲しみと祈りが今も続いていることを示している。探索者が「慰霊碑に近づくとマイナスの気を感じ取ってしまう」と記録しているのは、この場所が持つ歴史的な重さそのものに由来していると考えられる。


心霊現象の噂

通洞口付近で重く沈んだ空気を感じる

最も多く語られる体験がこれだ。通洞口・慰霊碑付近を訪れた探索者が「大惨事を意識しているせいか、マイナスの気を感じ取ってしまう」と記録している。

坑内に今も取り残された人々の気配

163日間かけて収容された遺体という歴史から、「今も坑内に取り残された人々の気配がある」という解釈で語られることがある。

清陵町の炭住アパートでの不思議な体験

事故後に多くの世帯が炭鉱を離れた清陵町の炭住アパート群では、空き家となった部屋での不思議な体験談が語られることがある。

サイレンの音が聞こえるという噂

事故当日、夕張市内全体で鳴らされたサイレンの記憶と結びつき、「今もどこからかサイレンの音が聞こえる」という噂が一部で語られている。

scene2

体験談

体験談①「通洞坑(西口)。炭鉱マンはここから地下1000メートルの闇へと消えて行った。通洞は遺族の感情も配慮し、コンクリート密閉ではなく、空気の通る格子で塞がれている。慰霊碑に黙祷を捧げた」

廃墟・産業遺産探訪サイト「るうろのたみ」による現地調査記録。「清陵町に残る通洞坑(西口)。炭鉱マンはここから通洞の人車に乗り換え、地下1000メートルの闇へと消えて行った。昭和56年10月16日の運命の日もここより多くの人が入坑していったのだろう」と記録している。

「通洞は遺族の感情も配慮し、コンクリート密閉ではなく、空気の通る格子で塞がれている。またポータルに掲げられた『北炭夕張新炭鉱』の文字も往時のまま保存されている。右の盛土した丘には慰霊碑が建つ。大惨事を意識しているせいか、マイナスの気を感じ取ってしまうのは、やはり気のせいだろうか。慰霊碑に黙祷を捧げた」という記録が残っている。(るうろのたみより)

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体験談②「不明者の家族は『命をよこせというのか』と激怒したが、林社長は『お命を頂戴いたします』と発言した。注水によりようやく鎮火した坑内では、最後の遺体が収容されたのは事故から163日後だった」

NOVEL DAYSに掲載された歴史的記録。「事故後、6日目の10月21日、会社は59名の安否不明者に生存の可能性はないと判断し同日に行われた家族への説明会で当時の社長林千明ら幹部は注水への同意を要請。不明者の家族は『命をよこせというのか』と激怒したが、林は『お命を頂戴いたします』と発言した」と記録している。

「10月23日は、注水に先立ち9時半に救護隊員が入坑し注水地点の傍らに菊やグラジオラスの花束を供えた。13時半にサイレンが吹鳴されるとともに関係者が黙祷。その後59名の安否不明者がいる坑内にペンケ真谷地川から引かれた水が流し込まれた。夕張市内でも市役所や学校などで一斉にサイレンが鳴らされ全市民が黙祷したという」「最終的な死者数は、93人。事故収束後、社長の林は、自宅で手首を切り自殺を図った。未遂に終わったが、その後代表取締役の座を辞し退職した」という記録が残っている。(NOVEL DAYSより)

体験談③「1982年5月、HBC(北海道放送)によってドキュメンタリー番組『地底の葬列』が放送され、第38回文化庁芸術祭賞において大賞を受賞している」

Wikipediaによる記録。「夕張市清水沢清陵町には住宅街と坑口を結んでいた通洞口が残され、その傍らに慰霊碑が建立されている。通洞口には『北炭夕張新炭鉱』の社名が刻まれ、『空気が通るように』という遺族の要望からコンクリート等による密閉はされず、鉄格子で閉鎖されている」と記録されている。事故の記録がテレビドキュメンタリーとして放送され、文化庁芸術祭賞という公的な評価を受けたという事実が、この事故の歴史的重みを示している。(Wikipediaより)

※ 体験談は個人の証言であり、事実を保証するものではありません。


危険性と注意点

北炭夕張新炭鉱跡地は93人が死亡した実際の重大事故現場だ。最大限の敬意を持って接する必要がある。

坑内への立入は絶対不可

坑道は完全に閉鎖されており、内部への立入は物理的にも法的にも不可能だ。

犠牲者・遺族への敬意

93人が実際に命を落とした場所だ。肝試し・不謹慎な行為は犠牲者とその遺族への重大な冒涜となる。慰霊碑には敬意を持って黙祷を捧げることが望ましい。

周辺の空き家・廃墟への注意

清陵町の炭住アパート群は半数近くが空き家となっている。私有地への無断立入は不法侵入にあたる。

夕張市の産業遺産としての価値

この場所は日本の石炭産業史を物語る重要な産業遺産でもある。落書き・破損は厳禁だ。

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まとめ

北炭夕張新炭鉱は1981年10月16日にガス突出事故を起こした。

地下1000メートルで火災が起きた。59名が安否不明になった。

会社は注水を決断した。社長は言った。「お命を頂戴いたします」と。遺族は怒った。

93人が死亡した。最後の遺体は163日後に収容された。

社長は自宅で手首を切った。未遂だった。代表取締役を辞めた。

通洞口には慰霊碑が建てられた。「空気が通るように」という遺族の願いで、鉄格子のまま塞がれた。

ドキュメンタリー番組が作られた。文化庁芸術祭賞を受賞した。

夕張市清水沢清陵町に、今も通洞口と慰霊碑が残っている。


動画


FAQ

Q. 北炭夕張新炭鉱はどこにありますか?

北海道夕張市清水沢清陵町に位置します。JR石勝線「清水沢駅」から車で数分です。通洞口と慰霊碑が現存しています。

Q. 1981年の事故とはどういうものですか?

1981年10月16日に発生したガス突出事故で、最終的に93人が死亡しました。火災を鎮圧するため坑内に注水するという決断が下され、安否不明者への生存の可能性が断たれたことから大きな社会的議論を呼びました。

Q. 「お命頂戴いたします」とは何ですか?

事故対応にあたった社長・林千明が、安否不明者の家族への説明会で注水への同意を求めた際に発した言葉です。遺族からは激しい怒りの声が上がりました。

Q. 現在も訪問できますか?

通洞口・慰霊碑は見学可能ですが、坑道内部への立入はできません。犠牲者とその遺族への敬意を持って訪れることが求められます。

Q. ドキュメンタリー番組について教えてください。

1982年5月に北海道放送(HBC)が「地底の葬列」というドキュメンタリー番組を放送し、第38回文化庁芸術祭賞のテレビドキュメンタリー部門で大賞を受賞しました。

安全メモ

  • 私有地への侵入はNG
  • 危険行為(廃墟侵入・無理な探索)はNG
  • 近隣住民への迷惑行為はNG

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