心霊スポット公開日: 2026-06-18更新日: 2026-06-18

【沖縄県の心霊スポット】ひめゆりの塔・アブチラガマ|沖縄戦で亡くなった人々を悼む場所──「肝試し厳禁」と地元が呼びかける、戦争の記憶を伝える壕

沖縄県糸満市・南城市に位置する、沖縄戦の歴史を伝える慰霊碑と自然洞窟。ひめゆり学徒隊が最期を迎えた地と、陸軍病院分室として使われたガマ。「心霊スポット」として語られることもあるが、現地は肝試し目的での訪問を一貫して厳禁としている。

沖縄県心霊スポット信憑性 B危険度 2
戦争遺跡
【沖縄県の心霊スポット】ひめゆりの塔・アブチラガマ|沖縄戦で亡くなった人々を悼む場所──「肝試し厳禁」と地元が呼びかける、戦争の記憶を伝える壕の外観
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基本データ

  • 種別:心霊スポット
  • 所在地:沖縄県
  • 危険度:2/5
  • 信憑性:B

沖縄県糸満市・南城市。沖縄戦の激戦地となった本島南部に、当時のままの姿を残す洞窟(ガマ)がある。

「ひめゆりの塔」「糸数アブチラガマ」。

1945年、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒たちが看護要員として陸軍病院に動員された。彼女たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた。

戦況が悪化し、軍は学徒隊に解散命令を出した。避難先も武器もないまま、戦場に放り出された。

多くの命が失われた。

戦後、遺族たちが彼女たちを弔うために、1946年にひめゆりの塔を建立した。

ここは「心霊スポット」として語られることがある。しかし複数の現地サイトが明言している。「間違ってもミステリースポットとして訪れて欲しくありません」と。


概要

ひめゆりの塔(ひめゆりのとう)は沖縄県糸満市伊原に位置する慰霊碑で、太平洋戦争末期の沖縄戦において看護要員として動員された女学生たち(ひめゆり学徒隊)が最期を迎えた地のひとつだ。隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」では、生徒たちの戦争前の日常から動員後の状況、証言映像までが展示されている。

糸数アブチラガマ(いとかずアブチラガマ)は南城市玉城糸数に位置する全長270メートルの自然洞窟だ。もともとは地域住民の避難壕として使われ、その後日本軍の陣地・倉庫、さらに南風原陸軍病院の分室として使用された。ひめゆり学徒隊の一部もこのガマに派遣され、看護活動に従事した。現在は平和学習の場として、修学旅行生を中心に年間約15万人が訪れている。

両所とも、沖縄戦で実際に多くの人々が命を落とした歴史の現場だ。「沖縄戦では沖縄の民間人のうち4人に1人が亡くなった」と記録されている。この歴史の重みから「心霊スポット」として語られることもあるが、現地の不動産情報サイト・観光ガイドは一貫して「肝試しなどという不埒な動機で足を踏み入れないようお願いします」と呼びかけている。

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基本情報

項目内容
名称ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館/糸数アブチラガマ
所在地沖縄県糸満市伊原671-1(ひめゆりの塔)/沖縄県南城市玉城字糸数(アブチラガマ)
ジャンル慰霊碑・戦争遺跡(沖縄戦の現場)
危険度2
信憑性B
タグ#戦争遺跡

場所・アクセス

ひめゆりの塔:沖縄本島南部・糸満市に位置する。営業時間は9:00〜17:25(入館受付は17:00まで)、定休日なし。隣接するひめゆり平和祈念資料館は2021年にリニューアルされている。

糸数アブチラガマ:南城市の旧玉城村糸数地区に位置する。事前予約のうえ、案内センターでヘルメットと懐中電灯を借り、ガイドの案内で見学する仕組みになっている。壕内には非常用以外の照明がなく、当時の「漆黒の闇」を体験することができる。足元が悪いため運動靴が推奨されており、サンダルでは入場できない場合がある。

両所とも単独での無断侵入は避け、正規の見学ルート・ガイド案内に従うことが求められている。


この場所の歴史

ひめゆり学徒隊の動員と解散命令

1944年、沖縄が戦場となる可能性が高まる中、日本軍は看護要員の不足を補うため女子学生の動員を決定した。1945年3月、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒240名が南風原の陸軍病院(ガマ)へ動員された。彼女たちの任務は負傷兵の看護や遺体埋葬など、10代の少女にはあまりに過酷な現実だった。

戦況が悪化する中、1945年6月18日、軍は学徒隊に解散命令を出し、各自の判断で行動するよう命じた。避難先も武器も与えられないまま、ただ戦場に放り出される形となった。米軍の攻撃が激化する中、多くの生徒が犠牲となった。

糸数アブチラガマでの過酷な医療現場

アブチラガマは南風原陸軍病院の分室として使われ、約1000人の患者を3人の医師、3人の看護婦、16人のひめゆり学徒隊が収容していたとされる。十分な医療器具もない劣悪な環境下で、麻酔なしの手術や切断部位の運搬も行われた。昭和20年5月、戦況が過酷さを極めた末、病院は重症患者を置き去りにしてこのガマから撤退を余儀なくされた。その後、米軍の火炎放射攻撃を受けて洞窟内は地獄絵図となった。

このガマで亡くなった方々の遺骨は、戦後、糸数住民と関係者の手によって「国立沖縄戦没者墓苑」に合祀されている。

戦後の慰霊

この悲劇を忘れないために、1946年に遺族らによってひめゆりの塔が建立された。「娘を弔いたい」という切実な願いから生まれた慰霊碑だ。現在、洞窟内には当時のまま食器や衣服が散らばっている場所もあり、資料館として整備されていない区域からは戦争の壮絶さがそのまま伝わってくると複数の訪問者が記録している。


語られている噂について

ひめゆりの塔・アブチラガマ周辺では、インターネット上で「声が聞こえた」「写真に不思議な影が写った」「急に寒気がした」「誰かに見られているように感じた」「急に体が重くなる・立ちくらみがする」といった体験談が語られることがある。

ただし、おきなわさんぽによる解説記事は「ひめゆりの塔は本来、亡くなった生徒や教師を追悼し、平和を考えるための場所です。噂だけを切り取ると、現地に込められた祈りや、資料館が伝えようとしている事実が見えにくくなります」と指摘している。多くの命が失われた場所で訪問者が抱く重い感情や緊張感を、単純に「心霊現象」と断定することには慎重であるべきだという見方が複数のサイトで共有されている。

糸数アブチラガマについても「思い出の日」サイトは「ここで語られる怖さは、怪談というより、戦場の現実に近いものです」「人々がどれほど過酷な状況に置かれていたのかを考えると、心霊の噂だけで語るのは浅すぎると感じます」と記している。

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体験談

体験談①「ガマによっては当時のまま食器や衣服が散らばっている場所もあって…。資料館としてきれいにされていない場所からはとてつもない大きな恐怖を感じ、当時の壮絶さ、悲惨さ、平和を願う気持ちを全身で感じました」

沖縄に2週間滞在したゼミ活動の参加者による体験記。「ひめゆりの塔はもちろんのこと、ガマにもいくつか訪れました」と振り返り、戦争を生きた人々の気持ちに触れる時間だったと記している。「これが現実に起きていたのかと思うと今をもっと大切に生きなければならないと思わされます」という言葉で締めくくられている。(note・ママリ編集部より)

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体験談②「アブチラガマのことを調べていたら、心霊エピソードもたくさん出てきてちょっと怖いなと思っていたけど、慰霊の気持ちで訪れる分には何も怖いことはなかった」

実際に沖縄戦慰霊の旅でアブチラガマを訪れたnote投稿者の記録。ガイドから愛知県出身の元兵士・日比野勝廣さんが直接語った当時の証言を聞いたという。「当時の人たちがここでたくさんつらい思いをしたんだということと、ガイドさんから聞いた日比野さんの想像を絶する体験はすべて戦争が引き起こしたものであるということは心に確かに刻まれた」と記している。(note・comomoより)

体験談③「ここはある意味、悲しい場所であり神聖な場所でもあります。間違ってもミステリースポットとして訪れて欲しくありません」

Tripadvisorに投稿された訪問者の口コミ。「壕の中は真っ暗です。こんな光の届かない地下で身を潜めていたなんて。内部からは当時の雰囲気が伝わってきて、非常に辛く重い気持ちになりました。戦争を知らない世代が、当時の様子を感じることができる貴重な場所です。決して観光気分で入る所ではありません」と記録している。(Tripadvisorより)

※ 体験談は個人の証言であり、事実を保証するものではありません。


訪問にあたっての心構え

ひめゆりの塔・アブチラガマは、沖縄戦で実際に多くの人々が命を落とした歴史の現場であり、戦没者を慰める目的で保護されている場所だ。

心霊目的・肝試し目的での訪問は厳禁 糸数アブチラガマの公式案内ページは「沖縄戦では沖縄の民間人のうち4人に1人が亡くなっており、地上戦の傷跡が生々しく残るこのアブチラガマは、日本史上最悪の戦争が起こした悲劇の現場です。ですから、間違っても肝試しなどという不埒な動機で足を踏み入れないようお願いします」と明記している。

正規のルート・ガイド案内に従うこと アブチラガマは事前予約制で、ヘルメット・懐中電灯のレンタルとガイドの案内のもとで見学する。足元が悪いため、運動靴での参加が推奨されている。

資料館での学習を併せて行うこと ひめゆりの塔を訪れる際は、隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」にも足を運び、亡くなった一人ひとりの「生きた証」に触れることが推奨されている。

精神的な配慮 重い歴史を学ぶ場所であるため、訪問後に強い感情の動揺を感じることがある。これは自然な反応であり、戦争の現実に向き合った結果として理解することが大切だ。

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まとめ

1945年、沖縄師範学校女子部・第一高等女学校の生徒たちが陸軍病院に動員された。

過酷な看護活動が続いた。軍が解散命令を出した。避難先も武器もないまま、戦場に放り出された。多くの命が失われた。

南風原陸軍病院の分室となったアブチラガマでは、十分な医療器具もない中で過酷な治療が行われた。火炎放射攻撃を受けた。

1946年、遺族たちがひめゆりの塔を建立した。

今、この場所は平和学習の場になっている。年間15万人が訪れる。修学旅行生が学ぶ。

「心霊スポット」として語られることもある。しかし現地は一貫して言う。「肝試しなどという不埒な動機で足を踏み入れないようお願いします」と。

「決して観光気分で入る所ではありません」という言葉が、訪れたすべての人の心に残っている。


動画


FAQ

Q. ひめゆりの塔はどこにありますか?

沖縄県糸満市伊原671-1に位置します。隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」もあわせて見学できます。

Q. アブチラガマの見学方法は?

事前予約制で、近くの案内センターで受付し、ヘルメットと懐中電灯を借りてガイドの案内のもとで見学します。足元が悪いため運動靴が推奨されています。

Q. なぜ「心霊スポット」として語られることがあるのですか?

沖縄戦で多くの人々が実際に命を落とした歴史的な場所であり、戦争の記憶が今も生々しく残っているためです。ただし複数の現地サイト・ガイドは「これは怪談ではなく戦場の現実そのものである」と明言しており、心霊目的での訪問を控えるよう呼びかけています。

Q. 訪問時に注意すべきことはありますか?

肝試し・興味本位での訪問は厳禁とされています。正規のガイド案内・見学ルートに従い、慰霊の気持ちを持って訪れることが求められます。資料館での学習もあわせて行うことが推奨されています。

Q. 子供を連れて訪問しても大丈夫ですか?

平和学習の場として修学旅行生を中心に年間約15万人が訪れています。歴史を学ぶ目的であれば、年齢に応じた事前の説明を行いながら訪問することが推奨されます。

安全メモ

  • 私有地への侵入はNG
  • 危険行為(廃墟侵入・無理な探索)はNG
  • 近隣住民への迷惑行為はNG

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