心霊スポット公開日: 2026-03-28更新日: 2026-05-05

【心霊】道了堂跡|廃寺跡で目撃される白装束の霊と死亡事故の記録

東京都八王子市鑓水の大塚山公園内に位置する史跡。1874年創建の道了堂跡地で、1963年に堂守の老婆が強盗に殺され、1973年には大学助教授が女子大生を殺害し遺体を遺棄した。稲川淳二が「首なし地蔵に触れたADが2日後に骨折した」怪談を繰り返し語り全国的知名度を獲得。老婆のすすり…

東京都心霊スポット信憑性 A危険度 3
心霊スポット城跡公園東京
【心霊】道了堂跡|廃寺跡で目撃される白装束の霊と死亡事故の記録の外観
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基本データ

  • 種別:心霊スポット
  • 所在地:東京都
  • 危険度:3/5
  • 信憑性:A

稲川淳二がテレビロケで首なし地蔵を撮影した。

ディレクターもスタッフも、白い人影を目撃したが特に何もなかった。

しかし2日後、地蔵に触れてしまっていたADがバイクで転倒し、骨折した。


概要

道了堂跡は東京都八王子市鑓水の大塚山公園内に位置する史跡だ。1874年(明治7年)、鑓水の商人・大塚吾郎吉らが浅草花川戸から道了尊を勧請し創建した「永泉寺別院 曹洞宗 大塚山大岳寺」──通称「道了堂」の跡地だ。江戸末期から明治にかけて横浜への生糸輸送路として栄えた「絹の道」沿いの峠の上に建ち、往来する旅人の安全を祈る場所として地域の信仰を集めた。

1908年に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通して絹の道が衰退すると道了堂も荒廃が進み、1963年に堂守の老婆が強盗に殺される事件が発生。その10年後の1973年には大学助教授が教え子の女子大生を殺害し遺体を近辺の山林に遺棄する事件が起きた。1983年に不審火で堂が焼失し、1986年に八王子市が買収・解体。1990年に大塚山公園として整備された。

2件の殺人事件の公的記録・稲川淳二の怪談(書籍・DVD収録)・多数の独立した証言からA評価の信憑性に値する。

scene1

基本情報

項目内容
名称道了堂跡(大塚山公園)
所在地東京都八王子市鑓水(大塚山公園内)
ジャンル史跡・旧寺院跡地
危険度3
信憑性A
タグ#心霊スポット #城跡 #公園 #東京

場所・アクセス

JR横浜線「片倉駅」から徒歩約30分、またはバスで鑓水峠方面へ向かい下車後に石段を登る。薄暗い林道を15分ほど歩くと開けた場所に出て、石組みの土台・石碑・灯籠・お地蔵様が残る道了堂跡に到着する。

「絹の道」として文化庁「歴史の道百選」にも選定されている尾根道沿いに位置しており、ハイカーや犬の散歩をする地元住民も訪れる場所だ。しかし人の住む場所から隔離された林道の奥という立地は、昼間でもひんやりとした孤独感を漂わせる。

女性の単独訪問は昼間でも危険とされており、不審者出没の報告がある。


なぜ心霊スポットになったのか

道了堂跡が西東京屈指の心霊スポットとして語られる理由の軸は、10年の間を置いて繰り返された2件の殺人事件だ。

1963年(昭和38年)9月10日──82歳の堂守・浅井とし(二代目)が強盗目的の犯人に殺害された。明治42年に入山し、苦労の多い生涯を送った老婆の恨みがこの地に残っているとして、「老婆のすすり泣く声」の怪異の由来となっている。

1973年(昭和48年)──立教大学の助教授が教え子の女子大生と不倫関係になり、痴情のもつれから殺害、遺体を道了堂付近の山林に遺棄した。事件が発覚する前に教授は家族と無理心中を遂げ、遺体はミイラ化した状態で発見されたと新聞で報道された。

さらに稲川淳二が「八王子首なし地蔵」の怪談をテレビ・書籍・DVDで繰り返し語ったことで全国的な知名度を獲得。「地蔵の首を折った者に祟りが起きる」という伝承と結びついて、道了堂跡の恐怖が広く定着した。


心霊現象の噂

老婆のすすり泣く声

林道を進むにつれ、どこからともなく老婆のすすり泣く声が聞こえるという報告が多い。1963年に殺害された堂守・浅井としの霊と結びついて語られており、「この地で理不尽に殺された老婆の恨み」として語り継がれている。

首なし地蔵の祟り

かつてお地蔵様の首部分が破壊されていたことから、「首なし地蔵に触ると祟りがある」という伝承が定着した。稲川淳二のロケで地蔵に触れたADが2日後に骨折した体験談が特に有名。首の欠損は現在修復されているが、伝承は残り続けている。

女子大生の霊の出没

1973年に殺害され遺体を遺棄された女子大生の霊が出没するという目撃談がある。霊能者の霊視によれば、山林の道を進む途中でミニスカート姿の若い女性の霊と遭遇したという記録がある。

白い車で来ると呪われる

地蔵を破壊した者が白い車に乗っていたことから「白い車で訪問すると呪われる」という噂が広まった。具体的な車種や原因の記録はないが、地元で語り継がれている。

scene2

体験談

体験談①「首なし地蔵に触れたADが、2日後に骨折した」

稲川淳二のテレビロケでの体験談。首なし地蔵の「祟り」を検証するためにスタッフが現地を訪れ、地蔵を撮影した。

ディレクターとスタッフは撮影中に白い人影を目撃したが、特に何もなかった。

しかし2日後、地蔵に「触れてしまっていた」ADがバイクで転倒し骨折する事故が起きた。

ロケ中の接触が偶然かどうかは誰にも分からないが、「触れた者だけに影響が出た」という構造が伝承をより具体的なものにした。稲川淳二はこの体験談を「八王子首なし地蔵」として繰り返し語っている。(ウワサの心霊話より)

scene3

体験談②「林道を進むにつれ、霊気が段階的に強くなった」

昼間に訪れた霊能者の証言。史跡散策の年配ハイカーも歩く場所で、「昼間は特に際立った特徴がなく地相もさほど悪くない」という印象だった。

しかし山林の道を進むにつれて「少しずつ霊気が強くなる」という感覚を覚えた。途中で数体の地縛霊・浮遊霊と遭遇し、うち1体はミニスカート姿の若い女性だった。

「1973年の事件の被害女子大生かどうかは波動が微弱で確認できなかった」と語っており、「廃絶された寺院跡地は陰のエネルギーが集積しやすい。夜半以降の訪問は勧めない」と結論づけた。(霊視検証サイトより)

体験談③「子供の頃、道了堂の押し入れで見知らぬ姉弟と遊んだ」

八王子出身の怪談作家・川奈まり子の幼少期の体験談。1976年頃、まだ道了堂が廃墟として残っていた時代に友だちとお堂で遊んでいたとき、見知らぬ姉弟に出会い一緒に隠れ鬼をした。

自分が隠れていたお堂の押し入れの暗がりに、お姉さんが現れた。

「でも変ですよね。誰もいないから私はそこに隠れたんですよ」と語っている。

当時は道了堂を心霊スポットとは思っていなかったという。大人になってから1963年の殺人事件を知り、あの姉弟が誰だったのかを改めて考えるようになったという。(さんたつ「川奈まり子と歩く、八王子怪奇譚」より)

※ 体験談は個人の証言であり、事実を保証するものではありません。


危険性と注意点

道了堂跡は現在、大塚山公園として整備されているが、山中の史跡だ。

不審者出没

林道の奥という隔離された立地のため、不審者の出没が報告されている。女性の単独訪問は昼間でも危険とされており、必ず複数人で訪れること。

夜間は暗く足元が危険

照明が乏しい山道であり、夜間の転倒・落下リスクが高い。夜半以降の訪問は避けること。

地域住民への配慮

地元の生活圏内に位置しており、地元ハイカーや犬の散歩をする住民も通る道だ。大声・夜間の集団訪問は迷惑になる。

史跡・地蔵への敬意

石碑・灯籠・地蔵は文化財として保護されている。破損・落書きなどの行為は文化財保護法に抵触する。

scene4

まとめ

道了堂跡に積み重なっているのは、明治から昭和に至る100年以上の時間だ。

絹の道を行き来した商人たちが祈りを捧げた場所。苦労した老婆が60年以上守り続けた場所。そして2度、人が殺されてそこに捨てられた場所。

稲川淳二が「首なし地蔵に触れるな」と警告した。触れたADは2日後に骨折した。

林道を進むほど霊気が強くなると霊能者は言う。怪談作家が子供の頃に遊んだ押し入れには、誰かがいた。

首なし地蔵は今、修復されている。しかし、どれだけきれいに修復しても、この地で起きたことは変わらない。

峠の上の静かな石組みの跡地で、老婆が今夜も泣いているかもしれない。


動画


FAQ

Q. 道了堂跡はどこにありますか?

東京都八王子市鑓水の大塚山公園内に位置します。JR横浜線「片倉駅」から徒歩約30分、または鑓水峠バス停から石段・林道を歩いた先にあります。

Q. 道了堂とはどのような場所でしたか?

1874年(明治7年)に鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請して創建した寺院の別院です。江戸末期から明治にかけて横浜への生糸輸送路「絹の道」の中継地として栄えましたが、JR横浜線の開通後に衰退し、2件の殺人事件の後、1983年の不審火で焼失しました。

Q. 2件の殺人事件とは?

1963年に堂守の老婆(82歳)が強盗に殺された事件と、1973年に大学助教授が教え子の女子大生を殺害し遺体を近辺に遺棄した事件です。両事件は公的記録・新聞報道に残っています。

Q. 「首なし地蔵」の祟りとは?

かつてお地蔵様の首部分が破損していたことから、「触ると祟りがある」という伝承が生まれました。稲川淳二のテレビロケで地蔵に触れたADが2日後に骨折した体験談が有名です。現在は首部分が修復されています。

Q. 「絹の道」とはどのような道ですか?

八王子から横浜港へ生糸を運んだ輸送路(神奈川往還)の通称です。道了堂跡を含む区間は文化庁「歴史の道百選」に選定されており、現在もハイカーが歩く史跡散策路として整備されています。

安全メモ

  • 私有地への侵入はNG
  • 危険行為(廃墟侵入・無理な探索)はNG
  • 近隣住民への迷惑行為はNG

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東京都八王子市の国史跡指定の山城跡。1590年の落城で婦女子たちが御主殿の滝へ次々と身を投じ、川が三日三晩血に染まったと伝えられる。すすり泣く女の声・鎧武者の霊・御主殿の芝生に転がる生首などの怪異が語られ、稲川淳二が「近づかないほうがいい」と警告したことでも知られる。

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