マリアナ海溝の怪音
世界最深の海、マリアナ海溝。1997年の「ブループ」、2014年の「ビオトワング」と、深海から記録された謎の轟音は「未知の巨大生物の声」として長年話題になってきた。だが、いずれも近年の研究で正体が判明している。
世界最深の海、マリアナ海溝。その海底からは、これまで複数の「謎の轟音」が記録されてきた。1997年の「ブループ」、2014年の「ビオトワング」——いずれもSF映画の効果音のような不気味な響きで、「未知の巨大生物の咆哮ではないか」とインターネット上で話題を呼んできた。しかし、この2つの音は近年の研究によって、いずれも正体が突き止められている。物証をもとに、深海の「怪音」の実像を整理する。
マリアナ海溝とは
マリアナ海溝は、北西太平洋のマリアナ諸島東側に位置する、地球上でもっとも深い海溝である。太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に沈み込むことで形成されており、最深部は「チャレンジャー海淵」と呼ばれ、水深はおよそ10,920〜10,984メートルとされる(測定方法により数値に幅がある)。これはエベレスト(標高8,849m)をまるごと沈めても山頂が海面下に隠れてしまう深さである。
チャレンジャー海淵に到達した人類は、2020年夏の時点でわずか13人程度とされ、これは宇宙空間に到達した人数(同時期で500人超)よりもはるかに少ない。1960年にスイスの科学者ジャック・ピカールとアメリカ海軍のドン・ウォルシュが潜水艇「トリエステ」で初めて到達し、その後52年間、到達者は現れなかった。2012年に映画監督ジェームズ・キャメロンが単独潜航に成功し、2019年以降は探検家ヴィクター・ヴェスコヴォが潜水艇「リミティング・ファクター」で複数回にわたり到達、多くの新種生物や海底のごみなどを記録している。
時代背景/舞台
マリアナ海溝の深さが世界に知られるようになったのは20世紀に入ってからである。1951年、イギリス海軍の測量艦「チャレンジャー8世号」が音響測深によってこの海域の深さを確認し、これが「チャレンジャー海淵」という名称の由来となった。日本の測量艦「満州」も1925年に深度調査を行っており、この海域が世界最深部であることの発見には複数国の調査が関わっている。
1990年代以降、アメリカ海洋大気庁(NOAA)は太平洋の複数箇所に自律型ハイドロフォン(水中マイク)を設置し、海洋の音響監視を継続してきた。この監視網が、後述する「ブループ」や「ビオトワング」といった謎の音を記録することになる。
怪音をめぐる経緯・解明までの道のり
- 1997年:NOAAが南太平洋で「ブループ」と呼ばれる超低周波の強力な水中音を検出。5,000km以上離れた複数のセンサーで観測されるほどの振幅で、周波数が短時間で急激に変化する特徴があった。シロナガスクジラの鳴き声に似ているとの指摘もあったが、既知のどの生物の声よりも大きいとされ、正体は長年不明とされた。
- 2005年前後:NOAAの研究者クリストファー・フォックスらが、氷山由来の音(氷震)である可能性を指摘。
- 2023年:南極大陸の氷河の動きや、氷山が海底を削る際に生じる音(氷震)であることが確認される。
- 2014年:オレゴン州立大学とNOAAの研究チームが、マリアナ海溝の音響調査中に「ビオトワング」と呼ばれる金属的な音を検出。SF映画の宇宙船のような音と形容され、2016年にはシロナガスクジラやザトウクジラの声ではないかとする説が出たが、既知の鳴き声とは一致せず正体は長らく特定されなかった。
- 2024年:NOAA太平洋諸島漁業科学センターの海洋学者アン・アレンらが、20万時間以上の音響記録をAIで解析し、マリアナ諸島周辺のニタリクジラの鳴き声であることを特定。学術誌『Frontiers in Marine Science』に論文が掲載された。
通常の説明・判明した正体
「ブループ」の正体は、南極の氷河や氷山が海底を削る際に生じる氷震(氷河性地震)であることが確認されている。氷震は音響的に生物の声と誤認されやすい特徴(急激な周波数変化)を持つが、地震学的な観測データと照合することで、生物由来ではないことが裏付けられた。
「ビオトワング」の正体は、マリアナ諸島周辺に生息する特定の集団のニタリクジラが発する鳴き声であることが特定されている。研究チームは、ビオトワングの検出位置とニタリクジラの目撃・移動記録を照合し、10頭の観察対象のうち9頭が同じ特徴的な発声をしていたことを確認した。ただし、ニタリクジラがなぜこのような音を出すのかについては、仲間同士の位置確認に使われている可能性が指摘されているものの、確定的な結論には至っていない。
諸説と評価
- ブループ=未知の巨大生物説:「シロナガスクジラの数倍の大きさ」という試算が独り歩きしたが、地震学的データとの照合により否定されている(評価:×=物証と不一致)
- ブループ=氷震説:地震学的観測データと一致し、2023年に確認された(評価:○=確認済み)
- ビオトワング=未確認生物説:既知のクジラの鳴き声と一致しないことから浮上したが、AI解析により否定されている(評価:×=物証と不一致)
- ビオトワング=ニタリクジラ説:発声個体の直接観察と音響データの照合により裏付けられ、査読論文で発表された(評価:○=確認済み)
- マリアナ海溝=未知生物の巣窟説:新種の深海生物が頻繁に発見されるのは事実だが、「未確認の超巨大生物」の発見例は確認されていない(評価:△=新種発見は事実、巨大生物説は未確認)
残る謎
「ブループ」と「ビオトワング」という2大怪音の正体は決着しているが、深海そのものにはなお解明されていない点が残る。ニタリクジラがビオトワングを発する具体的な目的(求愛、縄張り、仲間との位置確認など)は推測の域を出ていない。また、2017年に学術誌『Nature Ecology & Evolution』に発表された研究では、マリアナ海溝の水深7,000〜10,000メートル付近に生息する甲殻類から、河川汚染で知られる中国の遼河に生息するカニの約50倍にあたる残留性有機汚染物質(PCB・PBDEなど)が検出されており、人類の活動が地球最深部にまで影響を及ぼしている実態が明らかになっている。深海生物相の全容についても、潜航のたびに新種が発見されるなど、未解明な部分が多く残されている。
オカルト・陰謀論をどう見るか
「ブループ」という名称は、その謎めいた音の記録以来、インターネット上で「体長200メートルを超える未知の海洋巨大生物」の呼び名としても広まり、クトゥルフ神話などの創作物とも結びつけられて語られてきた。しかし、これは音の正体が不明だった期間に生まれた想像上の産物であり、氷震という正体が確認された現在では、物証に基づく説明が優先されるべきである。
同様に、深海に「未知の巨大生物」や「異次元への入り口」があるとする言説も一部で見られるが、これらは検証可能な物証を伴わない。一方で、マリアナ海溝が地球上でもっとも探査が進んでいない領域のひとつであり、新種の生物が今も発見され続けているという事実は、想像力をかき立てるには十分な余地を残している。Occultpediaとしては、こうした未踏領域への興味そのものは尊重しつつ、具体的な主張については物証の有無で評価する立場を取りたい。
正体とは|信憑性Dの理由
- 想定される通常の説明:ブループは氷震(氷河・氷山由来の地震学的現象)、ビオトワングはニタリクジラの鳴き声という、いずれも自然現象・既知生物による説明が検討されてきた。
- 説明力の評価:ブループについては地震学的観測データとの照合、ビオトワングについては発声個体の直接観察と音響データの照合という、それぞれ独立した検証手法によって説明が裏付けられている。
- 盛られた要素と事実の切り分け:「シロナガスクジラの数倍の巨体を持つ未知生物」という試算は、音の正体が不明だった期間に生まれた憶測であり、正体判明後は否定されている。「体長200メートル」といった具体的な数値が独り歩きした点は、都市伝説的な誇張の典型例といえる。
- 独立記録の質:氷震説はNOAAの地震学的観測データ、ニタリクジラ説は査読学術誌『Frontiers in Marine Science』(2024年)に掲載された論文という、いずれも独立した専門機関・学術誌による検証を経ている。
- ランク確定:マリアナ海溝にまつわる代表的な「怪音」2件は、いずれも自然現象・既知生物によるものと物証に基づいて確認されており、真に未解決の核が残らない。深海生物相の全容など純粋に未探査な領域は残るが、「怪音=未知の超常的存在」という核心的な謎については決着しているため、信憑性Dと判定する。
まとめ
マリアナ海溝から記録された「ブループ」と「ビオトワング」という2つの謎の音は、それぞれ氷震とニタリクジラの鳴き声であることが、独立した検証手法によって確認されている。「未知の超巨大生物の咆哮」という都市伝説的な解釈は、正体が不明だった期間に生まれた憶測であり、現在では物証に基づく説明に置き換わっている。一方で、なぜニタリクジラがこの音を出すのかという行動学的な謎や、深海生物相の全容、人類の汚染物質が最深部にまで到達している実態など、純粋に未解明な論点は今も残されている。
よくある質問
Q. 「ブループ」は本当に巨大な未知生物の声なの?
違う。1997年の検出当初は正体不明とされ、「未知の巨大生物」説が広まったが、2023年に南極の氷河・氷山由来の氷震であることが地震学的観測データによって確認されている。
Q. マリアナ海溝の「ビオトワング」は何の音?
マリアナ諸島周辺に生息する特定の集団のニタリクジラが発する鳴き声であることが、2024年にAI解析と査読論文(Frontiers in Marine Science)で確認されている。
Q. マリアナ海溝には人類が到達したことがあるの?
ある。1960年にジャック・ピカールとドン・ウォルシュが初到達して以来、2012年のジェームズ・キャメロン、2019年以降のヴィクター・ヴェスコヴォらが到達している。ただし到達者は2020年時点で13人程度と、宇宙到達者よりもはるかに少ない。
Q. なぜ信憑性がDなのか?
マリアナ海溝の代表的な「怪音」であるブループ(氷震)とビオトワング(ニタリクジラの鳴き声)は、いずれも独立した検証手法によって正体が物証に基づいて確認されており、「未知の超常的存在」とする核心的な謎については決着しているため。